面白く、 意義深い、良質な映画。役者も皆良かった。こういう映画こそ、沢山の方に見ていただきたい。推薦します!
キム・ギドク(映画監督)
「どういうふうに生きたっていいんだよ」って、 言ってもらえたみたいで 勇気を貰った。 生き辛い今に自由を勝ちとろうとしている映画。 そして、自由ってことは笑えるってことだ。
瀬々敬之 (映画監督)
不思議な映画だな。 シュールリアリズムは、 現実のすぐとなりに座っている。 偶然入った映画館でみつけて、 あっけにとられてるうちに、魔術は進む。 下町のとある印刷屋に予期せぬ人々が吸い寄せられていった。 支那の仕立て屋と、せむし男と、 ユダヤ人の医者と、御用係と、キリスト教徒の仲買人……。 風が吹けば桶屋が儲かる……、万事塞翁が馬。 やはりこれは、深田晃司版 二十一世紀お茶の間千一夜物語ではないか。 宇宙とはオデッセィアにあるのではなく、 つかの間数日のお茶の間の中に、不法滞在異邦人たちとともに現出しさえする。 「汝姦淫するなかれ」「盗むなかれ」「隣人をむさぼるなかれ」の、そんな戒めも、あの狂気じみた猛暑の夏の陽炎かの如くにおぼろげにゆらめいて!! 小津安二郎の茶の間から建設中のスカィーツリーが見えていたらしき。 やがて、アラビアンナイトな宴は燃えさかり、 ふと気付くと魔法のランプの煙かの如くに消えている。 そこに、はたしてシェヘラザードはいたのか? 「明日お話しするお話は今宵のものより、もっと心躍りませう」 ううむ。ケムに巻かれたかな。絶妙なファンタジー。 明日の夜も語られる、深田晃司版千夜一夜の続きも,早く観たい。 こういう映画こそ現代の千一夜物語だと思う。
あがた森魚(歌手・映画監督・俳優)
下町を舞台としたレトロ劇かと思いきや、ブラックな笑いが次第にエスカレートして、ラストはしみじみ感動。小津とロメールとテオレマの小気味良い融合。青年団の役者さんたちの映画俳優としての魅力にも注目。
佐々木敦(批評家)
ロッテルダムで評判とは聞いたが、かなりミニマルなつくりのデジタルムービーながら、極めて充実した作品。
その訳は、緊密な脚本、簡潔な演出に加えて、一般には知名度のない俳優たちゆえの「読めなさ」にあるだろう。その演技がリラックスしているのもいい。 俳優の中でも印刷屋一家を波乱に陥れる闖入者に扮した古舘寛治の怪人ぶりは、飄々と図々しく、時にやけにおっかなく、本作をパワフルに牽引する。翻弄される杉野希妃のくたびれ加減も共感を誘う。最後まで息をひそめて観てしまう下町ロメールふう?コント。 俳優も皆いいが、この作品のいいところは狭い印刷屋に出入りする男女全員のよこしまな感情を無言のうちに描いた脚本と、それを雄弁な省略によって着実に撮っていった演出の掛け算である。
ともあれ、とにかく間然するところなく面白いので観てみられたし!
樋口尚文(映画評論家)
A Buñuelian comedy with a dark undertone. Delightful.
ダークな隠し味のブニュエル風喜劇。快作。
Anocha Suwichakornpong アノチャ・スウィチャコーンポン (2010年ロッテルダム国際映画祭タイガーアワード受賞作“Mundane History”監督)
Fukada Koji's hospitalité is in the great tradition of satirical films that keep moving a step further than the audience expects. Tautly directed, with an exact sense of space, hospitalité finds oddness and menace in things that at first seem excessively familiar. The results are savage, funny, and uncomfortable.
深田晃司監督の「歓待」は、風刺映画の伝統に立脚しながら、常に観客の予想の一歩先を進み続ける。隙の無い空間感覚と簡潔で無駄のない演出によって、「歓待」は、一見するとどうにも見覚えがあるように思われる事柄の中に、奇妙さと悪意とを見出していく。その結果生まれたのが、この、兇暴で、可笑しくて、観る者を落ち着かなくさせる作品なのである。
Chris Fujiwara クリス・フジワラ(エディンバラ国際映画祭 アーティスティックディレクター)
東京国際映画祭で上映される『歓待』は素晴らしかった。 たまたま黒沢清の『黒沢清、21世紀の映画を語る』を 読んでいたら、こんな箇所があった。
「もっと大胆に言うと、映画の外側に世界がひろがっていて、そこは暴力で満ち溢れている。映画は原理的にそこから逃れられない。そんなことは実は百年も前、映画誕生のときからわかっていた、わかっていたのに何もしてこなかったことの責任を、今こそとらねばならない。そういう認識に立った映画を二一世紀の映画と呼びたいと思います。」
この定義に照らし合わせるなら、まさに『歓待』は21世紀の映画だった。 映画の外側と内側の境界線を越える、 またはひっくり返す、ぼやけさせる映画だったということだ。 集団が内側に向かって団結力を高めようとすれば、外側を排除し、 外側に向かえば内側がカラッポになるような 何かに加担しないようにしながらも知らずに手を汚しているような 常に色んなベクトルに引っ張られてぐらぐらしながら やっとのことでどうにかしている人間たちの映画だった。 是非観て欲しいです。
松井周(劇団「サンプル」主宰/俳優)
傑作だった。シリアスかと思いきや、ガンガン笑える悲劇に仕立てている。これだけ抑えた演出の出来る監督がまだ30歳だというから驚きだ。ホンまで書いてるし。凄い人がどんどん出てくるなあ。
入江信吾(脚本家)
This is like the way Bruce Lee's fights - fast, spontaneous, fluid, a style without style. And physically lean and potentially explosive as Lee. 『歓待』はブルース・リーの闘い方に似ている。素早く、気取らせない自然な動き、変形自在で、スタイルの無いスタイル。そして、リーのように、身体が締まっていて潜在的な爆発力がある。
Ho Yuhang ホー・ユーハン(映画“At the End of Daybreak”監督)
「実在」という名の「不在」をしっとり描いた『歓待』は、ややもすれば浮き上がってしまう日常の表層が、杉野希妃の肉体の質量によって絶妙なバランスで地につなぎ止められたスリリングな作品として、まさにいまの日本で歓待されるべき映画と想う。
手塚眞(ヴィジュアリスト)
「東京ノート」をはじめとする平田オリザの作品には小津安二郎からのエコーが感じられると多くの人が指摘している。
1990年代以来の青年団ファンとしては、だからこそ平田自身はヘタに映画を撮らないほうがいいと思っているのだが、他方、平田メソッドのもとで「日常を演じる」という背理を生きる、“青年団的”としか言いようのない俳優陣の絶妙の掛け合いを映画でみてみたい、あれは絶対に映画でも活きるはずだ、という矛盾する欲望も同時に募っていたのだった。 だから、青年団のなかから深田晃司という才能が現れて『歓待』を撮ってくれたことは、演劇と映画双方のジャンルにとってまさに僥倖であった。
ここにはまず、山内健司、古舘寛治、兵頭公美ら青年団の役者たちの完璧なアンサンブルがある。この完璧さのなかに、韓国からマレーシアまでを越境する、アジア・インディーズ映画シーンのいまを時めく女神(ディーヴァ) 杉野希妃がどうやって溶け込むのかをスリリングな気持ちで見つめたが、溶け込むのではなく、むしろ逆だった。すなわち本作は、異人(マレビト)として闖入してきた者を単なる融和ではなく周囲から浮いたままでいかに「歓待」することができるのかという、実のところ世界的な急務ともいえるテーマを扱っているのだが、それは出演者杉野についてもまた同じことなのであり、演技の質を異にしたままの彼女の“浮き”具合は、作品の本質と重なって見事に成功していた。
冒頭で早くも青年団の重鎮 松田弘子扮する町内会婦人が「高橋とよ」に見えはじめ、怪しげな外国人集団のラインダンスに『山猫』のクライマックスを錯視した果てに、ラストのインコをめぐる反復とずれに至ってつげ義春に通じる諦観までそこはかとなく感得してしまった。深田マジックに静かにノックアウトされたと言うほかない。
石坂健治(東京国際映画祭「アジアの風」プログラミング・ディレクター/日本映画大学教授)
"HOSPITALITÉ is a pure diamond refracting lies to shed light on our human condition. Fukada Koji, brilliantly inspired by French artist Eric Rohmer, is offering a remarkable Japanese version of a cinema that is diving deep under the surface of mundane histories, revealing multiple layers of secrets and mysteries, a world of darkness and ambiguity. Behind the ironical tale about the fear of difference lies a complex story that looks like a strange plot and reveals an amazing talent of stage direction, with astounding actors. Fukada’s fierce and delicate sense of space, frame and dubious perceptions, is leading the audience toward a genuine little cinematographic miracle and a narrative epiphany." "HOSPITALITE is a pure diamond refracting lies to shed light on our human condition.
「歓待」は高純度のダイヤモンドである。ダイヤモンドの中を通り抜ける光が屈折によって思わぬ方向へと向きを変えるように、この映画では様々な嘘が思わぬ方向へと展開する。そうして人間の在り方に思わぬ光が当たる。
Fukada Koji, brilliantly inspired by French artist Eric Rohmer, is offering a remarkable Japanese version of a cinema that is diving deep under the surface of mundane histories, revealing multiple layers of secrets and mysteries, a world of darkness and ambiguity.
深田晃司は、エリック・ロメールの良さを見事に受け継ぎながらも、素晴らしい「日本の映画」を提示する。ありふれたエピソードの深層へと入り込み、何層にも重なった秘密や謎、闇と曖昧さとに満ちた世界を露わにしていく。
Behind the ironical tale about the fear of difference lies a complex story that looks like a strange plot and reveals an amazing talent of stage direction, with astounding actors.
一見すると「他人と違っていること」に対する惧れについての皮肉っぽい物語のように見えるが、その背後には複雑な世界が拡がっている。そこには、不思議なプロットや演出の妙や、驚くほど素晴らしい俳優達の演技が詰まっている。
Fukada’s fierce and delicate sense of space, frame and dubious perceptions, is leading the audience toward a genuine little cinematographic miracle and a narrative epiphany."
深田晃司の空間、画面構成と知覚の曖昧さに対するセンスは極めてシャープかつ繊細である。そのセンスによって、この作品は真に映画的な小さな奇跡、観客にとっては語りの中に真実を見い出す契機(ナラティブ・エピファニー)たり得ているのだ。
Aude Hesbert オード・エスベール(パリ国際映画祭 ディレクター)
以上、翻訳小畑克典。